新選組の屯所であった、八木邸近くに現存する壬生寺。
場所が近いだけに、新選組との関わりもありました。
また局長・近藤勇の遺髪塔や、新選組隊士のお墓も壬生寺にあります。
八木邸や前川邸に行く予定のある方は、壬生寺へ行かないのはもったいない!
今回はそんな壬生寺の魅力と、ここに眠る隊士のことを、お伝えしていきます。
どんな方だったのか少しでも知っていると、より気持ちを込めてお参りできると思います。
![新選組 角屋 見学](https://corontomomousagi.com/wp-content/uploads/2023/04/2B3AEE99-5E09-455E-93F5-30D90208A2C3-320x180.jpg)
壬生寺と新選組
壬生寺と新選組にはどのような関わりがあったのでしょうか。
当時新選組の武術や大砲などの訓練は、壬生寺の境内で行われていました。
このことにちなんで、現在壬生寺ではAR撮影で、大砲と記念撮影することができます。
また1番隊組長・沖田総司は、壬生寺の境内で子どもたちと遊んでいたという、微笑ましいエピソードも。
この場所で日々鍛錬を重ねたり、子どもたちと息抜きしたりしていたのですね。
壬生寺といえば 壬生狂言 が有名ですが、近藤勇や新選組隊士たちも、壬生狂言を楽しんでいたようです。
ちなみに壬生狂言は、仏教の教えを説いたセリフのない無言劇で、お囃子に合わせて演じます。
この音から親しみを込めた「壬生寺のカンデンデン」という愛称があります。
壬生寺拝観レポ(壬生塚)
私が行ったとき、実は壬生寺のイベント企画を申し込んで行きました。
ご本堂の壁画特別拝観があり、新選組の羽織(複製)を着て、和泉守兼定(模倣刀)、加州清光(模造刀)を持って撮影!
上記はこのようなイベント時のみですが、新選組隊士のお墓などがある壬生塚はいつでも行けます。
壬生塚へは阿弥陀堂から入ります。
ちなみに阿弥陀堂には新選組グッズが売っていますよ。
壬生塚へ入って左手には龍さん、正面には歌碑が見えます。
ここを進むと…
おーっと!真ん中に近藤さんらしき方が!
近くへ行くと、やはり近藤勇さんの胸像でした。
かっこいいっ!
ここで近藤さんと一緒に記念撮影しました。
写真右側が、近藤勇さんの遺髪塔です。
ここに近藤さんの遺髪が祀られているとは…感慨深いですね。
左側は新選組の勘定役だった、河合耆三郎さんのお墓。
河合さんの実家は播磨(兵庫)の裕福な塩問屋で、算術が得意なため優遇されていました。
しかし慶応2年2月2日、帳簿を見ると50両の不足を発見。
実家に飛脚を立てて、お金を頼みました。
しかし実家の父は外出中で気づくのが遅れ、
さらに土方歳三さんに、まとまったお金が必要だと言われ、事が知れてしまいます。
50両紛失の責任をとる形で、慶応2年2月12日に亡くなります。
亡くなる間際まで飛脚を待ち続けていました。
河合さんの首を斬ることになった
沼尻小文吾 という隊士は、飛脚を待つ河合さんの声を聞いて、このように言っていたそうです。
人からこんな淋しく悲しい声が出るものなのかと思った。
飛脚が来たのは亡くなってから3日後のこと。
壬生寺にあるこのお墓は当時、河合さんの親類一同が建てたものらしいです。
こちらも新選組隊士のお墓になります。
左は筆頭局長・芹沢鴨さんと、平山五郎さんのお墓です。
2人は文久3年9月18日に、八木邸にて暗殺されてしまいました。
![新選組 新撰組 八木邸 屯所 京都 芹沢鴨](https://corontomomousagi.com/wp-content/uploads/2023/06/3E3EB302-C75C-4998-B6D7-3E6F05A52130-320x180.jpg)
右の合祀墓も全員新選組の隊士です。
墓石の右から紹介していきます。
(阿比留栄三郎、阿比原栄三良、阿比留栄之介とも)
浪士組で初めて亡くなった隊士で、享年21歳。
殺されたという説もありますが、病死説の方が濃厚です。
文久3年2月に上洛し、近藤さんたちと共に京都に残りますが、同年4月6日に亡くなりました。
謎の多い隊士ですが、「近藤の意に応ぜざる事のあるを悪み、闇殺す」とあり、誅殺だったようです。
また亡くなった日が文久3年9月13日とされており、9月10日に亡くなったとされる
新見錦と命日が近いことから、同一人物だと考えられています。
新見錦は新選組局長で、芹沢さんと行動を共にしていた水戸派。
新選組副長助勤。
水戸藩出身ということもあり、芹沢鴨さんと行動しているため、水戸派だったと思われます。
原田左之助さんが暗殺したという説もありますが、文久3年12月28日に切腹したともいわれています。
池田屋事件で近藤さんの隊で動いていました。
元治元年6月5日、この事件の時に重傷を負い、屯所で亡くなったそうです。
新選組副長助勤。
池田屋事件では近藤隊で、奥沢栄助・新田革左衛門とともに、池田屋の裏庭の防御をしています。
しかしこの時深手を負ってしまい、この傷が原因で、元治元年7月22日に亡くなりました。
また野口健司さんの切腹時に介錯を行ったのが、安藤さんとされています。
池田屋事件で同じく近藤隊、この時の傷がもとで、元治元年7月22日に亡くなったそうです。
このことから裏庭での壮絶な戦いが想像できますね。
会津藩出身で、池田屋事件にも参加。
葛山さんは“永倉新八・原田左之助・斎藤一・尾関政一郎・島田魁”とともに、ある建白書を会津藩・松平肥後守に提出。
その建白書とは「隊長近藤の非行5ヶ条」をあげたものでした。
まさに新選組脱退の覚悟です。
しかし肥後守の仲介のおかげで、近藤さんと6名は和解となりましたが、葛山さんは元治元年9月6日に切腹しました。
![新選組とは 新選組初期メンバー メンバー紹介 一覧](https://corontomomousagi.com/wp-content/uploads/2022/02/C4A10A42-A4BA-4E02-A14E-A98FAFC32A06-320x180.png)
▲選組隊士慰霊碑、顕彰碑。
▲「あゝ新撰組」歌碑。
ボタンを押すと音楽が流れますが、押したら最後まで聞いた方がいいのかな〜とか、目立っちゃうかな〜と思い、私は押せませんでした。
時間に余裕のある方はぜひ。
橋から見えた龍さん!
かっこいい佇まいで、なんとも神々しく、運気がアップしそうですね。
こちらの“ミズしるべ”は、指先に水をつけて、白い部分をなぞると新選組隊士の名言が浮きでます。
誰の言葉が出るのか、ワクワク!
私は沖田総司さんのお言葉でした!
解説がまた面白いので、おすすめです。
私も今できる最大限を尽くそうと思います。
きっとあなたも、前向きになれる言葉と出会えるはず。
基本情報
私が行ったときのように時々、特別拝観などやっているようなので、合わせて行くのもおすすめです。
隊士が眠るお墓がある壬生塚は、公開時間内であれば常時お参りできるので大丈夫です。
壬生塚へ続く阿弥陀堂の地下には歴史資料室もあるので、時間に余裕のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。
歴史資料室は撮影禁止となっていますので、お気をつけくださいませ。
また壬生寺の閉門時間と、壬生塚の公開時間が異なることがありますので注意です。
壬生塚(阿弥陀堂・売店が入口)
公開時間:9時〜16時
拝観料:大人300円
〒604-8821
京都市中京区壬生梛ノ宮町31
御朱印をいただける寺務所も上記と同じ時間になります。
ちなみに境内は無料。
名前も知らなかった隊士がいたかもしれませんが、一人ひとりがいてこそ「新選組」です。
大好きな新選組に思いを馳せて、隊士を偲ぶ大切な時間をつくりませんか?