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新選組とは?分かりやすく簡単にご紹介【役職者初期メンバー一覧】

新選組とは 新選組初期メンバー メンバー紹介 一覧 

\この記事はこんな人におすすめ/

  • 新選組ってどんな組織だったの?

  • 新選組の初期メンバーのことが知りたい!

  • 初期新選組の役職の役割って?

今回は「新選組」を簡単に解説。

あわせて役職ごとに 新選組しんせんぐみ 結成当初の、第1次編成初期メンバーをご紹介!

隊士ひとりひとりに魅力があって、いろんなドラマがあります。

初期の役職者の名前とともに、どんな人だったのか、または何をした人なのかを簡単に説明していきます♪

これを読めば、飲みの席であなたも“ツウ”ぶれます。

※ただしガチの人の前以外ではやめておきましょう。

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新選組とは

新選組とは

文久3年に幕府のもと 京都守護職きょうとしゅごしょく の 松平肥後守御預まつだいらひごのかみおあずか りとして発足。

おもに「京都の治安維持」「警護」「護衛」などを務めていた、剣客集団から成る組織です。

ちなみに「せん」の漢字は「新“”組」でも「新“”組」でもOK!

MEMO

  • 京都守護職…文久2年に創設されたばかりの幕府の役職。

このころ京都所司代が政治機関としてきちんと機能していなかったため、所司代の上に守護職がおかれました。

また京都守護職は公武合体を目的とした機関です。


  • 京都所司代…江戸幕府が開かれて以降は、譜代大名が任命された政治機関。

朝廷の監察、西日本の大名の監視、京都市中の取り締まりを行なっていました。

幕末には「出世を目的とした役職」という風潮に…。


  • 松平肥後守…京都守護職に任命された、会津藩主の 松平容保まつだいらかたもり 公のこと。

もともとは14代将軍・徳川家茂が上洛する際、将軍警護のために作られた「浪士組」が、新選組の前身。

浪士組が2分化し、その1つが「新選組」となったのです。

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様々な出身・身分の者が集まって出来た組織でした。

そんな猛者たちをまとめるため、局中法度きょくちゅうはっとという“鉄のおきてとも言われる厳しい規律により、統率をとっていました。

新選組の活動期間は「6年」という短い時間でしたが、そこに彼らの青春が詰まっています。

局中法度 新選組

新選組が関する主な出来事(1部分)

  • 八月十八日の政変
  • 池田屋事件
  • 禁門の変
  • 油小路事件
  • 戊辰戦争

慶応4年から明治2年まで続く「戊辰戦争」では、京都から北海道の箱館(函館)まで、旧幕府軍(佐幕派・新選組など)は戦線を後退していきます。

箱館の地で土方歳三が銃弾に倒れ、その後に旧幕府軍は降伏。

戦争に負けた新選組は、新政府軍(明治政府)に国賊扱いされるも、後年の永倉新八が新選組を語ったことで名誉が回復されます。動乱の時代のなか、最後まで幕府のため、仲間のために散り散りになりながらも、戦い抜きました。

彼らはまさに“武士”らしい生き様を後世に残し、私たちの胸を熱くさせてくれます。

ちなみに有名な「だんだら染の羽織」ですが、隊士から評判が悪く、着ていたのは1年ほどだったそうです。

以降新選組は「黒」を着用!

当時の京都では黒縮緬の羽織が流行っていました。

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新選組初期メン【局長】


局長は新選組隊内におけるトップを務める役職です。

芹沢鴨とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
  
水戸浪士で、新選組の前は「天狗党てんぐとう」に所属。

酒乱で乱暴者だったといわれていますが、子どもと遊ぶなど人から好かれる一面もあったそうです。

良くも悪くも自分に正直すぎる人で、感情のコントロールが出来なかった人。

真っ直ぐすぎて、ウラがなく短気で人々を困らせましたが、新選組が成り得たのも芹沢の働きかけが大きいです。

今では新選組のトレードマークになっている「だんだら羽織」は芹沢の考案でした。

最期は芹沢の乱暴な目に余る行いによって、会津藩からの命令で新選組・沖田総司に暗殺されます。

新見錦とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
水戸浪士。

新選組の局長でしたが、新見の人生については謎が多いです。

新見も乱暴狼藉らんぼうろうぜきが目立ち、芹沢暗殺より10日ほど前に、近藤らに切腹させられました。

近藤勇とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
 
新選組という“烏合うごうしゅう”をまとめ上げたのが近藤勇。

もとは試衛館しえいかん道場を継いでおり 天然理心流宗家てんねんりしんりゅうそうけ4代目を世襲していました。

そんな近藤は子どもの頃から「村1番のガキ大将」だったそう。

自分より離れた年上の相手とケンカをしても、泣かせていたという逸話も。

性格は温和で、笑うとエクボができ、愛嬌があったそう。

一方で信念は決して曲げない頑固さがあり、融通が利かない性格。

豪胆で真っ直ぐな人だったようです。


3人も局長がいたんですね!

新選組の局長といえば「近藤勇!」というイメージが強いですが、初期はまだ違います。

この中でも筆頭局長を務めていたのは「芹沢鴨」でした。

漫画やアニメで登場する新選組に馴染みのある方は、意外に感じるのではないでしょうか。

新見は芹沢と行動を共にしている「水戸派」で、それと相対するのが近藤側の「試衛館派」でした。

最初の時点では、1つの組織に大きく2つの派閥があったんですね!

新選組初期メン【副長】


新選組の2番手の役職で、おもに局長を補佐します。

土方歳三とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
 
近藤が表なら、裏で近藤、新選組を支え続けたのが土方歳三。

天然理心流の門人。

浪士組に応募する前は、家伝の「石田散薬」を各地で売りながら、剣の腕を磨いていました。

実際はとても優しい人だといわれていますが、新選組という組織のために、あえて悪役に徹したようです。

隊内の規律を重んじ、幹部でも規則を破れば切腹。

隊士はそんな土方を「鬼の副長」と恐れました。

ちなみに土方は「だんだら羽織」を着たことがないといわれています。

見た目の良さからも分かる通り、当時から女性にはモテモテ。


   
北辰一刀流の免許皆伝。

近藤とは天然理心流との他流試合で出会いました。

そこで近藤に敗れた山南は、近藤を慕うようになったそうです。

以降は試衛館メンバーと行動を共にします。

心優しい温和な人柄で、女性や子どもから慕われていました。

しかし後に新選組から脱走し、切腹となります。

山南と親しかった沖田総司がその介錯を務めました。


新選組の副長と聞けば、土方歳三を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

当初は土方と同じく試衛館メンバー、「試衛館派」の山南敬助も副長を務めていました。

副長は「試衛館派」で固めています。

新選組初期メン【副長助勤】


「新選組1番隊組長!沖田総司!」

というかっこいいセリフは、新選組に欠かせないですよね。

しかし初期の頃は「組長」ではなく、助勤じょきんという役職名でした。

聞き慣れない役職名ですが、この初期の段階では新選組内で3番手の役職。

沖田総司とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
  
試衛館の塾頭も務めた「剣の天才」、後の新選組1番隊組長。

19歳頃には天然理心流の免許皆伝を受けています。

新選組での撃剣師範も務めました。

沖田の剣の腕前に関して永倉新八はこう語っています。

永倉新八
永倉新八
竹刀しないで沖田と稽古すると、土方・藤堂・山南・井上ですら子供扱いされてたなぁ。

本気で戦ったら、近藤も沖田には敵わないだろうとみんなが言っていた。

ただ沖田の稽古は荒々しい上に短気だったようで、試衛館の門弟は近藤より沖田の方が怖かったそうな…。

そんな沖田の“3段突き”は、1技にしか見えないほどの速さだったといわれています。

鬼滅で例えたら、まさにリアル霹靂一閃へきれきいっせんといったところでしょうか。

一方で剣から離れると、その性格はとても陽気で明るく、冗談ばかり言ってよく笑う人だったようです。

永倉新八とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
  
「がむしん」こと、“がむしゃらな性格の新八”は、後の新選組2番隊組長。

永倉も新選組で撃剣師範と務めるほどの剣豪。

永倉は18歳のときに神道無念流しんとうむねんりゅうの本目録を授かり、師匠も皆に自慢するほどの腕前でした。

19歳には松前藩を脱藩して、江戸を渡り歩き剣術修行に励みます。

そんな日々の中で近藤と出会い、沖田・山南・土方など試衛館の面々と親密になっていきました。

また剣の腕前に関しては、天才・沖田総司の上をいくと評されているほど。

そうなると新選組随一の剣豪ということになりますね。

斎藤一とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
  
謎が多い剣豪の1人、後の新選組3番隊組長。

流派は無外流むがいりゅうであったといわれています。

斎藤も沖田・永倉と同様に、新選組内で撃剣師範を務めました。

永倉新八
永倉新八
沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣。 

と語られるほどの強さ。

無口で新選組ではスパイとしての活動もしていたことから、クールでかっこいいミステリアスなイメージが強いですね。

意外にも新選組の門限を破ったり、女癖が悪かったともいわれています。

人間らしい一面が垣間見えて、逆にホッとしますね。

晩年の写真を見ると、端正な顔立ちから、モテたであろうことが伺えます。

浪士組には参加していないものの、その後すぐ京都へ行き新選組に入隊。

試衛館にはよく行っていたそうで、もともと近藤たちとは親しい間柄だったようですね。

井上原三郎とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
後の新選組6番隊組長。

天然理心流の門人で、近藤・土方・沖田とは強い信頼関係が結ばれていました。

とても努力家で約10年かけて免許皆伝。

真面目で無口だったそうですが、優しい人柄で、周りには「源さん」と呼ばれ親しまれていました。

原田左之助とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
やりの名手で、後の新選組10番隊組長。

伊予松山藩の生まれで、武家奉公人をしていましたが脱藩し、試衛館で食客になります。

原田の特徴はなんといっても、腹にある真一文字の切腹の傷跡。

酒の席では腹を見せて自慢していたそうな。

奉公人時代に上官とケンカして、ムカついたから、実際に腹を切って見せてやったようです。

また思ったことはすぐ口に出すタイプで、短気な性格だといわれています。

その見た目は美男だったようで、愛妻家なうえに家族をとても大切にしていた優しいパパさん。

藤堂平助とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
後の新選組8番隊組長であり、最後は 伊東甲子太郎いとうかしたろう 率いる 御陵衛士ごりょうえじ として散りました。

剣術のほうは北辰一刀流ほくしんいっとうりゅうの目録という腕前。

玄武館で剣の腕を磨いた後、試衛館で食客となり、近藤たちとともに新選組の道を歩きます。

とても小柄だったそうですが、美男子で文武両道な人だったようです。

またいつも真っ先に戦闘に飛び込むことから、さきがけ先生 」といわれていました。

新選組を抜け、御陵衛士になりましたが、京都の油小路にて新選組に粛清されることになります。(油小路事件)

しかし近藤勇は永倉新八に言います。

近藤勇
近藤勇
藤堂はまだ若くて才もあるから、できれば助けてやりたい。 

藤堂は沖田と同い年。

油小路で相対した折、永倉は藤堂を逃そうとしていました。

しかしそれを知らない新選組隊士が斬ったため、藤堂は亡くなってしまいます。

※生存説もあり

ちなみに藤堂を斬った隊士も、藤堂に恩があったため、罪悪感から精神病を患って亡くなったといわれています。

山﨑丞とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
  
新選組の優秀な監察方といえばこの人、山﨑丞ですね。

初期の頃は監察方ではなく「助勤」でした。

大阪出身で長らく京都にも住んでいたことで土地勘に明るく、密偵に抜擢。

後に諸事取調役兼監察となり、新選組に大きく貢献、欠かせない存在になります。

香取流棒術かとりりゅうぼうじゅつの名人で、新選組で使っていた武器は主に長巻ながまきでした。

 

※長巻は聞き慣れない武器ですが、薙刀なぎなたに似ている武器のこと。

性格は温和で無口で辛抱強く、美男子だったそうです。

近藤に可愛がられていたといわれています。


水戸浪士で芹沢たちと行動を共にしていました。

流派は鏡心明智流きょうしんめいちりゅうのち、神道無念流の 隻眼せきがんの武士

花火の事故で、左目は見えなかったようです。

しかしなぜか見えるはずの右側の方がスキがあったんだとか…。

芹沢の乱暴狼藉の件で、芹沢と時同じく山南敬助・原田左之助に暗殺されました。

平間重助とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
姫路浪士で、浪士組では芹沢らと行動しています。

神道無念流の目録。

芹沢側である「水戸派」暗殺の唯一の生き残り。

死んだふりをして、スキをついて逃げ延びたといわれています。

駆け出した際に土方と沖田の声がして、刺客が“試衛館派”の者だと気づいたそうです。

野口健二とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
水戸浪士で神道無念流の目録または免許皆伝。

野口も“水戸派”とされており、水戸派暗殺時には粛清されなかったものの、同年に「切腹」になりました。

また原田左之助が暗殺した説もありますが、永倉は切腹だったとしています。

尾形俊太郎とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
後に諸事取調役兼監察になります。

尾形は学者で、文学に秀でており、新選組の“文学師範”も務めていました。

近藤からも信頼されていたようです。

松原忠司とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
後の新選組4番隊組長。

柔術家で、新選組の柔術師範を担当しています。

壬生村では「親切者は山南と松原」といわれるほど、温和な性格。

八月十八日の政変では、“坊主頭に白鉢巻、手には大薙刀”という出立ちで警備を務めたところ「今弁慶」と呼ばれました。

しかし4番隊組長になった年に亡くなってます。

死因については「病死説」「自責の念による切腹未遂の傷の悪化説」などあり、真相は不明。

谷三十郎とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
新選組で槍術師範を務めた、後の新選組7番隊組長。

原田左之助の槍の先生だったともいわれますが、先生は三十郎の弟・万太郎だった説もあり。

ちなみに三十郎・万太郎・昌武の3兄弟で新選組に入隊しています。

三十郎の性格は横柄だったりと、あまり良くは伝わっていません。

その死に関しても謎が多く、“何かあった”ようですね。

安藤早太郎とは ももうさブログ ころんと桃うさぎ
弓術に長けていたようです。

池田屋事件で裏庭を守備するも傷を負い、傷が原因でその後亡くなったといわれています。

 


 

「試衛館派」の面々は初期の段階から、すでに役割がうまい具合に定まっていますね。

「沖田助勤」「永倉助勤」など、役職名で呼ばれたりしていました。

新選組初期メン【調役並監察】

名前の通り、取調べや監察のお仕事ですね。

監察は新選組の外に向けての仕事だけではなく、新選組内の隊士の動向についても監察します。

島田魁 ももうさブログ ころんと桃うさぎ
“しまだ さきがけ”とも言います。

心形刀流しんぎょうとうりゅう の免許皆伝、後に新選組伍長ごちょうを務めます。

永倉が江戸で 坪内主馬つぼうちしゅめ の道場で師範代を務めているときに、門下生だった島田は永倉と出会いました。

道場で親しくなった縁で、新選組になった永倉に誘われ、島田も京都へ行きます。

身長は180㎝あったといわれ、体も大きく力持ちだったそうです。

江戸時代の男性の平均身長は155㎝ほどだったので、180㎝の島田はとても目立っていたのでしょうね。

川島勝司 新撰組 新選組
棒術に長けており、後の新選組「伍長」になります。

その後伍長・川島勝治という名前で、登場するものもありますが、勝司と同一人物だと思われます。

「臆病」が理由で新選組除隊を命じられます。

しかし除隊後に“新選組”の名前を使って金策したため、隊士・富山弥兵衛に断首されました。

新選組の名前を使うなんて…怖いもの知らずじゃないですか。

そこも“臆病”になっておきましょうよ。

林信太郎 新選組
後に新選組の伍長になります。

池田屋事件では土方隊にいましたが、池田屋到着後は屋内で近藤の援護をしたそうです。

山﨑丞の本姓が「林」だったことから、信太郎とは従兄弟いとこだったのでは?といわれています。

新選組初期メン【勘定役並小荷駄方】

現在でいう「会計係や経理の役割」と「小荷駄こにだ」の仕事を任された役職。

小荷駄の仕事はどこまでの範囲だったのかは分かりません。

会計係とともに担っていたので、結構全般的に「食料・武具・薬」などの管理を任されていたのかな?と想像します。

岸島芳太郎 新選組
丹後国宮津(京都)の出身。

戊辰戦争(甲州勝沼の戦い)で負傷し、江戸へ帰ったのちに、新選組を離れたそうです。

岸島のその後は、近藤や永倉と別れた原田左之助が加わった「彰義隊しょうぎたい」に関与していたともいわれています。

そのため原田左之助の妻・まさに原田の最期を伝えたのが、岸島だったといいます。

酒井兵庫 新選組
酒井は摂津国住吉(大阪)の出身。

近藤からも信頼されていました。

しかし隊律違反により死んでいく仲間をたくさん目の当たりにし、怖くなって新選組を脱走してしまいます。

酒井は初期からいるメンバーがゆえに、新選組の内情もよく知っています。

そのため野放しにしておく訳にもいかず、沖田総司率いる新選組隊士が酒井を斬りました。

沖田は殺したつもりで引き上げましたが、幸い急所は外れて酒井は生き延びます。

しかしその後自分の怪我のありさまを見て気絶し、亡くなったそうです。

個人的に気持ちって大事なんだなぁと思わされましたね。

河合耆三郎 新選組
実家は播磨(兵庫)の裕福な塩問屋で、算術が得意だったので優遇されていました。

勘定方はぴったりなお役目だったのですね。

しかしあるとき帳簿を見ると50両の不足があることに気づきます。

このことがバレては処分を受けることになるので、飛脚を立て、実家にお金を頼みました。

タイミングが悪いことに、実家の父親は出掛けていて気付くのが遅れ、さらに土方歳三がまとまったお金が必要だと言います。

50両の紛失が土方に知られてしまい、河合は斬首になってしまいます。

河合は死ぬ間際まで飛脚を待ち続けました。

飛脚が来たのは斬首から3日後。

また自ら切腹したという説もあります。

尾崎弥兵衛 尾関弥兵衛 尾関弥平
新選組顛末記では「尾関弥平」、新選組始末記では「尾関弥兵衛」で登場。

弥四郎とも。

土方隊のもと池田屋事件にも参加した隊士。

しかし心臓病を患っていたとされており、除隊し帰郷したのち35歳で病死しています。

参考書籍

著者:子母澤 寛
書籍:新選組始末記ー新選組三部作
中央公論新社
初版:1977/3/10
改版:1996/12/18
改版22刷:2018/9/20

新選組を知っていくうえで、1番最初に読む本は、こちらがおすすめだと思います。

いわゆる「王道」の書籍。

この本は著者の子母澤寛さんが、各地の新選組関係者に取材した内容が書かれています。

現在近しい関係者が生き残っていることはないので、新選組始末記を通して、貴重なお話しを知ることが出来る1冊。

永倉新八
解説:木村幸比古
書籍:新選組顛末記
株式会社KADOKAWA
初版:2017/11/10
再版:2021/9/20

本書は明治も生きた「永倉新八が語った新選組」を記録した内容です。

永倉新八がすでにお年を召されていたことから、記憶違いがある可能性が指摘されていますが、読む価値は十分にあります。

当事者のナマの語りは、歴史上の人物としてではなく、リアルな人間として新選組の存在を近しく感じることができます。

臨場感のある内容にドキドキしました。

また解説があることによって、とても読みやすかったです。

永倉新八の新選組に対する思い、仲間に対する気持ちが伝わってくるようで、胸が熱くなります。

著者:鈴木 亨
書籍:新選組100話
中央公論新社
初版:1996/12/18
12刷:2020/2/29

個人的にはどこから読んでも読みやすいと思いました。

まず目次がとても分かりやすく、気になるところ、読みたい場所から読める本です。

サクサク読めるので、「最初から最後まで本を読むのがニガテ」という方にもオススメかと思います。

内容も分かりやすく、文章もさっぱりとしていて読みやすい1冊です。

まとめ

\今回のまとめ/

今回は新選組の簡単な解説と、初期メンバー(役職者)を簡単に紹介いたしました。

ひとりひとりの人生ドラマに、“胸アツ”になったり、ウルっときたり、切なくなったりします。

隊律の厳しさが目立ちがちですが、あだ名をつけたりなど仲の良さも垣間見えるのが、またイイですよね。

これからも新選組の魅力を発信していきたいと思います。

あなたも一緒に新選組の沼にハマりましょう!

 

ていうか新選組イケメン多くない???

 

モモ
モモ
今回も最後まで読んでいただき、感謝しています♪
ありがとうございました!

またインスタグラム、ツイッターもやっておりますので、ぜひフォローよろしくお願い致します♪

ではまた次回!以上、モモでした〜。

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