新選組の屯所であった、八木邸近くに現存する壬生寺。
場所が近いだけに、新選組との関わりもありました。
また局長・近藤勇の遺髪塔や、新選組隊士のお墓も壬生寺にあります。
八木邸や前川邸に行く予定のある方は、壬生寺へ行かないのはもったいない!
今回はそんな壬生寺の魅力と、ここに眠る隊士のことを、お伝えしていきます。
どんな方だったのか少しでも知っていると、より気持ちを込めてお参りできると思います。
壬生寺と新選組
壬生寺と新選組にはどのような関わりがあったのでしょうか。
当時新選組の武術や大砲などの訓練は、壬生寺の境内で行われていました。
このことにちなんで、現在壬生寺ではAR撮影で、大砲と記念撮影することができます。
また1番隊組長・沖田総司は、壬生寺の境内で子どもたちと遊んでいたという、微笑ましいエピソードも。
この場所で日々鍛錬を重ねたり、子どもたちと息抜きしたりしていたのですね。
壬生寺といえば 壬生狂言 が有名ですが、近藤勇や新選組隊士たちも、壬生狂言を楽しんでいたようです。
ちなみに壬生狂言は、仏教の教えを説いたセリフのない無言劇で、お囃子に合わせて演じます。
この音から親しみを込めた「壬生寺のカンデンデン」という愛称があります。
壬生寺拝観レポ(壬生塚)
私が行ったとき、実は壬生寺のイベント企画を申し込んで行きました。
ご本堂の壁画特別拝観があり、新選組の羽織(複製)を着て、和泉守兼定(模倣刀)、加州清光(模造刀)を持って撮影!
上記はこのようなイベント時のみですが、新選組隊士のお墓などがある壬生塚はいつでも行けます。
壬生塚へは阿弥陀堂から入ります。
ちなみに阿弥陀堂には新選組グッズが売っていますよ。
壬生塚へ入って左手には龍さん、正面には歌碑が見えます。
ここを進むと…
おーっと!真ん中に近藤さんらしき方が!
近くへ行くと、やはり近藤勇さんの胸像でした。
かっこいいっ!
ここで近藤さんと一緒に記念撮影しました。
写真右側が、近藤勇さんの遺髪塔です。
ここに近藤さんの遺髪が祀られているとは…感慨深いですね。
左側は新選組の勘定役だった、河合耆三郎さんのお墓。
河合さんの実家は播磨(兵庫)の裕福な塩問屋で、算術が得意なため優遇されていました。
しかし慶応2年2月2日、帳簿を見ると50両の不足を発見。
実家に飛脚を立てて、お金を頼みました。
しかし実家の父は外出中で気づくのが遅れ、
さらに土方歳三さんに、まとまったお金が必要だと言われ、事が知れてしまいます。
50両紛失の責任をとる形で、慶応2年2月12日に亡くなります。
亡くなる間際まで飛脚を待ち続けていました。
河合さんの首を斬ることになった
沼尻小文吾 という隊士は、飛脚を待つ河合さんの声を聞いて、このように言っていたそうです。
人からこんな淋しく悲しい声が出るものなのかと思った。
飛脚が来たのは亡くなってから3日後のこと。
壬生寺にあるこのお墓は当時、河合さんの親類一同が建てたものらしいです。
こちらも新選組隊士のお墓になります。
左は筆頭局長・芹沢鴨さんと、平山五郎さんのお墓です。
2人は文久3年9月18日に、八木邸にて暗殺されてしまいました。
右の合祀墓も全員新選組の隊士です。
墓石の右から紹介していきます。
(阿比留栄三郎、阿比原栄三良、阿比留栄之介とも)
浪士組で初めて亡くなった隊士で、享年21歳。
殺されたという説もありますが、病死説の方が濃厚です。
文久3年2月に上洛し、近藤さんたちと共に京都に残りますが、同年4月6日に亡くなりました。
謎の多い隊士ですが、「近藤の意に応ぜざる事のあるを悪み、闇殺す」とあり、誅殺だったようです。
また亡くなった日が文久3年9月13日とされており、9月10日に亡くなったとされる
新見錦と命日が近いことから、同一人物だと考えられています。
新見錦は新選組局長で、芹沢さんと行動を共にしていた水戸派。
新選組副長助勤。
水戸藩出身ということもあり、芹沢鴨さんと行動しているため、水戸派だったと思われます。
原田左之助さんが暗殺したという説もありますが、文久3年12月28日に切腹したともいわれています。
池田屋事件で近藤さんの隊で動いていました。
元治元年6月5日、この事件の時に重傷を負い、屯所で亡くなったそうです。
新選組副長助勤。
池田屋事件では近藤隊で、奥沢栄助・新田革左衛門とともに、池田屋の裏庭の防御をしています。
しかしこの時深手を負ってしまい、この傷が原因で、元治元年7月22日に亡くなりました。
また野口健司さんの切腹時に介錯を行ったのが、安藤さんとされています。
池田屋事件で同じく近藤隊、この時の傷がもとで、元治元年7月22日に亡くなったそうです。
このことから裏庭での壮絶な戦いが想像できますね。
会津藩出身で、池田屋事件にも参加。
葛山さんは“永倉新八・原田左之助・斎藤一・尾関政一郎・島田魁”とともに、ある建白書を会津藩・松平肥後守に提出。
その建白書とは「隊長近藤の非行5ヶ条」をあげたものでした。
まさに新選組脱退の覚悟です。
しかし肥後守の仲介のおかげで、近藤さんと6名は和解となりましたが、葛山さんは元治元年9月6日に切腹しました。
▲選組隊士慰霊碑、顕彰碑。
▲「あゝ新撰組」歌碑。
ボタンを押すと音楽が流れますが、押したら最後まで聞いた方がいいのかな〜とか、目立っちゃうかな〜と思い、私は押せませんでした。
時間に余裕のある方はぜひ。
橋から見えた龍さん!
かっこいい佇まいで、なんとも神々しく、運気がアップしそうですね。
こちらの“ミズしるべ”は、指先に水をつけて、白い部分をなぞると新選組隊士の名言が浮きでます。
誰の言葉が出るのか、ワクワク!
私は沖田総司さんのお言葉でした!
解説がまた面白いので、おすすめです。
私も今できる最大限を尽くそうと思います。
きっとあなたも、前向きになれる言葉と出会えるはず。
基本情報
私が行ったときのように時々、特別拝観などやっているようなので、合わせて行くのもおすすめです。
隊士が眠るお墓がある壬生塚は、公開時間内であれば常時お参りできるので大丈夫です。
壬生塚へ続く阿弥陀堂の地下には歴史資料室もあるので、時間に余裕のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。
歴史資料室は撮影禁止となっていますので、お気をつけくださいませ。
また壬生寺の閉門時間と、壬生塚の公開時間が異なることがありますので注意です。
壬生塚(阿弥陀堂・売店が入口)
公開時間:9時〜16時
拝観料:大人300円
〒604-8821
京都市中京区壬生梛ノ宮町31
御朱印をいただける寺務所も上記と同じ時間になります。
ちなみに境内は無料。
名前も知らなかった隊士がいたかもしれませんが、一人ひとりがいてこそ「新選組」です。
大好きな新選組に思いを馳せて、隊士を偲ぶ大切な時間をつくりませんか?