教えて!日米修好通商条約
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日米修好通商条約の内容は?
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何が不平等だったの?
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条約による日本への影響は?
今回はこのような疑問がある方におすすめの記事です。
日米和親条約の後に習うのが、日米修好通商条約ですが、名前が似てるためごちゃ混ぜになりやすいですよね。
2つの条約、大きく異なる点は「貿易」です。
日米修好通商条約では「貿易」が始まり、日本の開国になりました。
また交易による日本への影響は大きなものになります。
日米修好通商条約の、一体何が不平等だったのか?
条約の内容とともに日本への影響を解説していきます。
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日米修好通商条約とは
日米修好通商条約とは14条ある、日本とアメリカが結んだ条約。
いわゆる「不平等条約」といわれていますが、アメリカと締結した時点では、実は「不平等」ではありませんでした。
のちにほぼ同じ条件で、オランダ・フランス・イギリス・ロシアとも通商条約を結び、「安政の5カ国条約」といわれています。
ではその中身とはどのようなものだったのでしょうか。
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神奈川・新潟・兵庫・長崎に新たに港を開く。
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開港地では決められた範囲内で、外国人の滞在を許可。
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江戸・大阪での交易を認める。
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両国の商人の自由貿易を認める。
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日本通貨と外国通貨の交換を許可。
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協定関税率制度。
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領事裁判権(治外法権)の承認。
主に「不平等」であると言われているのが下の2つですね。
ちなみに「最恵国待遇(日本側のみ)」は日米和親条約から、引き継がれる形になりました。
領事裁判権(治外法権)
これは日本で犯罪を犯した外国人がいても、日本の法律ではなく、対象の外国人の国の法律で裁くというもの。
その逆は日本人がアメリカに行くのを想定していないため、明記していません。
しかもこの条約、実は最初の頃は特に問題視されていない条約でした。
ではなぜ不平等といわれるようになったのでしょうか?
基本的に他国より日本の法律の方が厳しかったようですが、他国の都合の良いように外国人が軽い罰だけで済むことがありました。
そのため日本の被害者に対して、補償もなかったことで、領事裁判権(治外法権)の承認が「不平等」だったと気づくことになります。
昨今も似たようなことが多いので、人ごとのようには思えないですね。
関税自主権の撤廃
この権利がなくなったら「なんとなく大変そう」と想像できるのではないでしょうか。
よく「関税自主権の欠如」と聞きますよね。
ですが最初から「欠如」していた訳ではありません。
日米修好通商条約において、日本の輸入関税は20%でした。
これは“日本が決めた”税率!
インドは2.5%、清(中国)は5%とアジア諸国の中では日本は高い方です。
順調なように思いますよね!
では一体いつから「関税自主権が撤廃」になってしまったのでしょうか?
→これは生麦事件や、下関戦争などがきっかけとなりました。
※生麦事件…薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件。
※下関戦争…長州藩 VS イギリス・アメリカ・フランス・オランダ。
特に長州藩などの過激派攘夷浪士のテロ行為。
これにより財政難にあった幕府は、各国に合わせて300万ドルの賠償金をローンで支払うことになり、さらに財政は圧迫。
慶応2年5月13日(1866年)には「改税約書」に調印し、日本の関税自主権は撤廃。
また20%あった関税は、アヘン戦争の敗戦国、清と同様に「5%」まで引き下げられました。
ここから「不平等な関税自主権の欠如」が始まります。
金銀比価問題
通商条約により、日本の貨幣と外国の貨幣の交換ができるようになりましたね。
しかしここにも大きな落とし穴がありました。
日本国内と、海外では「金銀の対比率」がそもそも違ったのです。
日本は金1gを、銀5gで交換できます。
比べて外国では金1gと銀を交換するためには、銀15gが必要になります。
さらに銀同士を交換する場合は、アメリカ銀1枚に対して、日本銀3枚でした。
この水準の差に目をつけた外国人は、銀を大量に日本に持ち込みます。
自国の銀と日本の銀を交換して、銀を増やしたのちに、日本の金と交換。
こうして日本の金が、めちゃくちゃ大量に外国に流れてしまいました。
外国勢からすると、まさに「黄金の国ジパング」といったところでしょうか。
しかも通商条約を持ち込んだハリス自身も、この方法で財産を増やしたらしいです。
ちなみに日本の水準が、外国と同じになるまでには1年かかることになります。
日本への影響(万延貨幣改鋳・改税約書)
日本に大きな影響を与えたのは、やはり「貿易」などの外国との交流でした。
幕府は日本の金が外国に流れていくなかで、対策を立てました。
それが万延貨幣改鋳といわれる、金の含有量が少ない新しい小判の発行でした。
国外への金の流出は減らせます。
しかしそうなると…
銀いっぱい増やせるじゃん!
こうして通貨量は増えましたが、貨幣の価値は下がり、物価はさらに高騰するという事態になりました。
このインフレーションに拍車をかけたのが、「改税約書」です。
関税自主権がなくなったことにより、日本の輸入税率は5%に。
外国の商品にかけれる税率は5%なので、外国製品が安く市場に出回ることになります。
またすでに産業革命が起きていた他国の綿織物などが、安く大量に日本の市場に登場。
→日本の商品が売れなくなってしまい、日本の産業が守られなくなりました。
さらに日本の生糸が欧米で人気になり、外国が安く日本で買って行きました。
日本では産業革命はまだなので、手作りのため、生産が追いつかなくなります。
→日本国内で品薄状態になり、国内価格が上昇しました。
このダブルパンチにつられて、他の物価もどんどん高騰していき、庶民の生活は苦しくなりました。
日本の産業と経済は、混乱状態になってしまったんですね。
今現在の日本も、物価が上がり税金の負担が増えて世知辛い世の中ですが、当時の人々が乗り越えたように、私たちも顔晴りましょうね!
まとめ
今回のまとめ!
日米修好通商条約の主な内容
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神奈川・新潟・兵庫・長崎に新たに港を開く。
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開港地では決められた範囲内で、外国人の滞在を許可。
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江戸・大阪での交易を認める。
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両国の商人の自由貿易を認める。
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日本通貨と外国通貨の交換を許可。
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協定関税率制度。
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領事裁判権(治外法権)の承認。
不平等な条約
領事裁判権の承認…最初は問題なかったが、外国人の日本での罪が他国の裁判では軽く済み、日本人に補償がないことに気づいた。
関税自主権の撤廃…当初は日本は権利を持っていたが、過激派攘夷浪士のテロ行為によって、関税自主権を撤廃され、関税も5%に下げられた。
日本への影響
関税が低いこと、金銀対比率の違いにより、日本はインフレーションが起きる。
日本産業と経済が混乱してしまった。
当時の混乱が伝わってきますね。
本当に大変な時代だったんだなぁと、改めて思いました。
関税自主権が撤廃されたのは、幕府は完全にとばっちりで可哀想でしたね。
あなたはどう思いましたか?