嘉永6年6月3日に黒船が来航し、幕府は開国を迫られました。
長らく鎖国体制を続けていた幕府にとって、すぐには決められない事案です。
そこで1年考える時間をもらい、ペリーたちは引き上げていきました。
老中首座 の 阿部正弘は、黒船来航をきっかけに、日本を改革しようと尽力します。
今回は 日米和親条約 の内容を簡単にご説明!
また阿部正弘の安政の改革をみていきましょう。
260年の平和を過ごしてきた幕府の政治改革の結果とは…?
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日米和親条約の内容
日米和親条約は戦争を避けるために、結ばざるを得ませんでした。
ほとんどアメリカに譲歩する内容になりましたが、交渉の1つだった「貿易」はお断りしています。
なので日米和親条約は、完全な開国ではありません。
ペリーが日本に来た目的を先に見ると、条約の内容も分かりやすいと思います。
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アメリカ船が日本に寄ったとき、石炭や食料、水など必要な物資を、アメリカに供給する。
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アメリカ船が日本で難破したとき、日本はアメリカ人を保護して、アメリカに引き渡す。
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上記2つのために、日本は箱館と下田、2つの港を開く。
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箱館・下田にいるアメリカ人を閉じ込めず、自由な行動を許す。(行動範囲は定める)
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日本はアメリカを最恵国待遇にする。(逆はしない)
最恵国待遇というのが、いわゆる「不平等」であると言われています。
「日本は交流のある国の中で、アメリカを1番いい条件にする」ということ。
またこれは日本にのみ課せられた条約で、アメリカは日本を最恵国待遇にはしていません。
安政の改革
国難を乗り越え、国を強化するため、老中首座の阿部正弘は政治改革を始めます。
老中首座…幕府内の役職で、老中という最高職の筆頭のこと。
実はペリー来航の前より、阿部正弘は外国の脅威を危惧していた数少ない1人で、少しずつ政策をしていました。
黒船をきっかけに、さらに改革に力を入れていくのです。
安政の改革
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親藩・譜代大名・外様大名に関係なく意見を聞き、さらに旗本や庶民の意見も募集。
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身分に関わらない人材登用。
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大型船の建造を許可。
(武家諸法度で禁止されていた) -
講武所 をつくった。
(武芸練習場、陸軍の基) -
洋学所 をつくった。
(外交文書などの翻訳) -
長崎海軍伝習所 をつくった。
(海軍の基)
改革の利点
阿部正弘の改革は、当時はかなり大胆なものでしたね。
江戸幕府が始まってから、譜代大名のみが参加できた政治体制を、変えてしまったのですから。
さらには旗本や庶民にまで意見を募り、身分を問わない人材登用まで。
これは平和な時代が長かったことで、幕府の一部が貴族のようになってしまい、有能な人が少なかったからです。
国難に対して、日本全体で乗り越えようという阿部正弘の考えがありました。
結果としては能力が優秀な人物の発掘に繋がります。
例えば…
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勝海舟 (旗本)…江戸城無血開城を叶えた。新政府にも出仕。
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大久保忠寛(旗本)…江戸城無血開城に尽力。のち東京府知事。
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江川英龍(旗本)…品川台場(現:お台場)や、 韮山反射炉を設立。
など中には明治維新後も活躍する人材を、世に送り出しました。
また講武所や長崎海軍伝習所を設立したことで、軍事力を強化。
人材登用のプロですね!
阿部正弘自身が、デキる男だったからでしょうか。
ただ幕府の財政難から頓挫(とんざ)した計画もあります。
改革の結果…
とても画期的な改革を行なった訳ですが、結果はどうなったのでしょうか。
長い目で見ると、日本にとって重要な人物を見出したのは、功を奏したといえます。
しかし幕府にとっては、親藩や外様が政治に口を出せるようになり、幕府内部の対立が出てきてしまうことに。
また幅広く意見を募集したことで「幕府だけでは解決できない」という、軟弱なイメージを作ってしまいました。
成功か失敗か、見る立場によって変わってきますね。
一概にどちらとも言い難い結果になりました。
まとめ
日米和親条約
12条からなる日本とアメリカ間の条約。
内容は以下のような項目。
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アメリカ船が日本に寄ったとき、石炭や食料、水など必要な物資を、アメリカに供給する。
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アメリカ船が日本で難破したとき、日本はアメリカ人を保護して、アメリカに引き渡す。
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上記2つのために、日本は箱館と下田、2つの港を開く。
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箱館・下田にいるアメリカ人を閉じ込めず、自由な行動を許す。
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日本はアメリカを最恵国待遇にする。
安政の改革
黒船来航をきっかけに阿部正弘が行なった、政治改革のこと。
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親藩・譜代大名・外様大名に関係なく意見を聞き、さらに旗本や庶民の意見も募集。
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身分に関わらない人材登用。
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大型船の建造を許可。
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講武所 をつくった。
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洋学所 をつくった。
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長崎海軍伝習所 をつくった。
改革の利点…軍事力の強化、新政府でも活躍するような人材を数々見出した。
改革の結果…幕府の権威を弱めてしまうことになった。
最初に書いたように、アメリカとの戦争を避けるために、幕府は条約を結ばざるを得ませんでした。
そんな中でも、まだ「貿易」に関してはお断りしています。
阿部正弘さんはとても優秀な人だったと思いますが、この人の考えに、時代は追いつけなかったようですね。
面接官とかピッタリだなーと思いましたが、皆さんはどう思いましたか?