\この記事はこんな人におすすめ/
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浪士組のその後は?
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新選組はどうやって誕生したの?
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清河八郎はどうなった?
前回の記事をまだ見ていない方は、先にこちらをオススメします。
今回の記事では幕末のロマンに欠かせない「新選組」が誕生します。
しかしどのように新選組が誕生したのか
知らない人も多いのではないでしょうか。
また結成したばかりの浪士組は、清河八郎と共に江戸へとんぼ返りになります。
違う道を選んだ2組はどうなっていくのか、分かりやすく解説していきます。
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京と江戸・命運の分かれ道
幕府によって浪士組が結成され、浪士組は将軍警護のため京都へ来ていました。
しかし清河八郎は浪士組を尊王攘夷の先鋒隊として、自身の計画に引き入れ、江戸に戻ると宣言。
清河らが江戸へ発つ前日の新徳寺にて。
我々は江戸へ戻り、攘夷の先頭に立ち勤めることになった!
一同の前に立ち、声高らかに宣言する清河。
実はこのとき、生麦事件の政治処置をめぐって、幕府とイギリスの軍事緊張が高まっていました。
浪士組の中で清河に対して、疑問を感じていた者がいました。
それが近藤を始めとする試衛館メンバーと、芹沢を中心とした派閥。
近藤の一味 | 芹沢の一味 |
近藤 勇 | 芹沢 鴨 |
土方 歳三 | 新見 錦 |
沖田 総司 | 平間 重助 |
永倉 新八 | 平山 五郎 |
井上 源三郎 | 野口 健司 |
原田 左之助 | |
山南 敬助 | |
藤堂 平助 |
攘夷には賛成でしたが、清河のやり方が気に入らず、ここで近藤勇が口を開きます。
関白から命令があったにせよ、将軍家から指示がなければ、1歩も京を離れる事はできない。
なので貴方の指図通りにはならぬ。
近藤さんカッコイイ!
こうして清河八郎たちと、近藤・芹沢らは別れることで話がつきました。
清河八郎【江戸に戻った組】
清河八郎含め、浪士212名は江戸を目指し、3月28日に到着。
江戸に着くなり、清河はさっそく横浜襲撃の攘夷決行のために動き出します。
しかし幕府の老中・板倉周防守 は清河の暗殺を命じていました。
清河は常に4〜5名の書生を連れて出かけていたので、なかなか暗殺の機会がありません。
ところが…
清河は風邪をひいていましたが、親友と会う約束があり出かけます。
この日は誰も連れずに、清河1人で出歩いていました。
親友の家から酔っ払って帰っている途中、抜刀する間もなく、清河は暗殺されてしまいました。
板倉周防守に命じられ、清河を暗殺した刺客は佐々木只三郎、速見又四郎など6名。
清河八郎は34歳の若さで、志なかばに倒されてしまいました。
京都から江戸へ戻ってきて、まだそんなに日が経っていませんね。
実は暗殺当日、清河と約束をしていたのは清河の親友の金子与三郎。
横浜襲撃の話しを聞き、金子が幕府に清河を売ったそうです。
ちなみに清河の首は山岡鉄舟のもとに届けられ、山岡は首を砂糖漬けにしてしばらく自宅に隠します。
しかし“におい”がひどくて、敷地内を転々と隠しました。
その後山岡は秘密裡に処静院の住職に依頼し、清河を埋葬できました。
新選組誕生【近藤・芹沢:京都に残った組】
京都に残ったのは、近藤勇・芹沢鴨ら13名でした。(表参照)
清河八郎たちが江戸へ発った日に、近藤勇らは幕府・京都守護職へ嘆願書を出しました。
京都守護職・松平肥後守(容保)殿
将軍様が二条城に滞在しているのに、我々がそのまま江戸へ帰るのは耐えられません。
公武合体のもと、勤王攘夷の方針をたてるのが最大の目的のはず。
その努力をしなければ、朝幕間に隙ができ、幕府の排除を狙う長州の思う壺になってしまう。
将軍様が江戸へお帰りになるまでは、どうか護衛させてください。
この嘆願書はすぐに聞き届けられました。
京都に残った13名は幕府・京都守護職であり、会津藩主である「松平肥後守御預り」になります。
そしてここに「新選組」が誕生しました!
ただこの時点では「壬生浪士組」といい、“八月十八日の政変”で評価され、「新選組」の名前をもらったといわれています。
また近藤さんは将軍東帰にも反対!
3月22日には、近藤さんは芹沢鴨らと、隊士の署名をした建白書とともに、老中板倉勝静に抗議しています。
建白書の内容(だいたい)
将軍様、恐れながら集議のご英断に一同悦んでいたところ、明日23日に京を発って東帰すると聞きました。
攘夷のため、公武合体のため、しばらく京に滞留してください。
生麦事件の対応は、大阪でされるといいです。
解釈が違っていたらすみません。
これらにより将軍は、23日の東帰はとりあえず辞める運びとなりました。
また新選組は作ろうとして結成された組織ではなく、成り行きから誕生した組織だったんですね。
それが今では私たちの胸を熱くさせてくれるとは…!
歴史的瞬間のひとつですね。
まとめ
\今回のまとめ/
浪士組と清河八郎のその後
江戸に戻った浪士は212名。
清河八郎は板倉周防守の命令によって暗殺された。
清河計画の横浜襲撃に関わった浪士は、幕府に詰問される。
その他の浪士らは「新徴組」として、江戸市中の取り締まりを担う。
新選組の誕生
京都に残った近藤勇・芹沢鴨ら13名は、京都守護職に嘆願書を出す。
嘆願書は聞き届けられ、松平肥後守御預りになり、「新選組」が生まれた。
京都に残った13名
近藤の一味 | 芹沢の一味 |
近藤 勇 | 芹沢 鴨 |
土方 歳三 | 新見 錦 |
沖田 総司 | 平間 重助 |
永倉 新八 | 平山 五郎 |
井上 源三郎 | 野口 健司 |
原田 左之助 | |
山南 敬助 | |
藤堂 平助 |
江戸に戻った者と、京都に残った者、大きな分かれ道となりましたね。
清河八郎の大芝居は幕府にとっては大誤算でしたが、「新選組」誕生のきっかけになった出来事でした。
新選組ファンとしては、ある意味感謝の気持ちすら湧いてきますよね。