新選組好きにとって八木邸は、京都観光に行くなら外せない場所ですよね。
歩いて屯所に近づくたび、嬉しくてドキドキしたのが懐かしいです。
今回は八木邸が気になるあなたへ
- 八木邸と新選組について
(エピソードあり) - 私の見学レポート(写真あり)
- 基本情報と周辺情報+おまけ
上記を紹介していきます。
さっそくレッツゴー!
壬生の屯所•八木邸とは
現在八木邸は、京都指定有形文化財に指定されており、新選組の歴史を後世に残す貴重な建物です。
新選組の筆頭局長だった、芹沢鴨さんたちが使っていたお部屋も、見学することができます。
土方歳三さんたちが使っていたとされるお部屋部分は、現在和菓子屋さんの店舗になっています。
そんな八木邸と、新選組の縁はどこから始まったのでしょうか。
将軍が 上洛 するにあたり、その護衛のために集められた浪士たちが、京都郊外の壬生に着きます。
当時この浪士組の本部は、壬生の 新徳寺 におかれていました。
234名の浪士たちの宿ですが、前川邸、南部邸、八木邸などに分かれて泊まることになります。
この中で八木邸に泊まっていたのが、後の新選組となるメンバー。
近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎、永倉新八、原田左之助、山南敬助、藤堂平助
の試衛館の面々と
芹沢鴨、新見錦、平山五郎、平間重助、野口健二
の合計13名でした。
角屋で宴会した芹沢鴨さんたちは、酔っ払って八木邸に帰宅。
さらに飲み直してから床につきました。
どしゃぶりの夜中、皆が寝静まった後、ここ八木邸で“芹沢鴨さんらは暗殺”されてしまいました。
その際に鴨さんがつまずいたとされる文机や、隊士が斬りかかったときの刀傷が残っています。
この日八木邸で暗殺されたのは、芹沢鴨さんと愛人のお梅さん、平山五郎さんの3名です。
平間重助さんは死んだふりをして、隙をみて逃げ延びたそう。
その際に
と土方歳三さんと沖田総司さんの声を聞いて、刺客が長州の者ではなく、近藤派の者だと気付いたそうです。
新選組は慶応元年(1865年)3月に、西本願寺へ移転するまで、八木邸を屯所として過ごしました。
八木邸見学レポ
店舗の方で、拝観料をお支払いして、こちらの門をくぐります。
ここから先は撮影禁止です。
まずは座ってガイドさんのお話しを聞きます。
とても分かりやすく、リズム良く聞きやすかったです。
ガイドさんも新選組が好きなのが伝わってきました。
椅子に座ってお話しが聞けるので、足が痺れる心配はいりません。
ただ私達が行ったときは、ちょうど1つだけ椅子が足りなくて、私は畳に座らせていただきました。
直接座れて、私的には逆にラッキー!(笑)
入ってきた方と逆側を見るとお庭があります。
「芹沢鴨さんが暗殺された日は雨で…」とガイドさんがお話しされているときです。
サァァァっと雨の音が!
みんなお庭の方を向いていました。(ように思います)
その日はもともと曇りでしたし、帰る頃には雨が上がってまた曇り空。
これはもう鴨さんの粋な演出だと思っています!(笑)
刀痕もばっちり見学した後は、和菓子屋の店舗の方で、お抹茶と屯所餅をいただけます。
屯所餅が美味しくて、買って帰りました(笑)
あとこちらの“石田散豆”ですが、包みが私の心にストライクだったので購入。
ところが中の黒豆のお菓子が想像以上に美味で、2回目のストライク。
もう2袋くらい買えば良かったと後悔しました。
次行ったら、黒豆はまた絶対買います。
基本情報と周辺情報+おまけ
前川邸は内部の見学はできません。
写真奥の方に見えるのが、お土産屋さんで、新選組グッズがたくさんあるのでおすすめです。
八木邸のグッズとはまた違うものが売っていたりして、面白かったです。
私が行ったときは前川邸でグッズを買ったら、オマケをもらいました!(2022年)
今もオマケがあったら、何をもらったかぜひ教えてください。
そして少し歩いていくと、壬生寺があります。
壬生寺は大砲などの兵法調練場として、新選組が出入りしていました。
こちらも見どころ満載なので、また改めて記事にします。
新選組好きな方は本当におすすめです。
-八木邸の基本情報-
新選組壬生屯所遺跡 八木家
公開時間:9時〜17時(最終受付:16時)
〒604-8821
京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町24番地
ここからおまけ情報です。
通常の見学だと「抹茶+屯所餅」ですが、じゃらんで予約すると「抹茶+上生菓子」のプランがあります。
通常より500円ほど高いですが、普段からホテルの予約などじゃらんでしている方は、ポイントが使えるメリットがありますね。