歴史 PR

【公武合体って何?】ウラでは攘夷派の天誅なるテロ!坂下門外の変が

公武合体 徳川家茂 孝明天皇 和宮 降嫁 坂下門外の変 安藤信正
当サイトのリンクは広告を含みます。

この記事はこんな疑問がある方におすすめ!

  • 公武合体こうぶがったいってなに?

  • なんで尊王攘夷派は反対したの?

  • 坂下門外さかしたもんがいの変ってどんな事件?

今回はこの3つを中心に、簡単に解説していきます。

尊王攘夷とは 水戸学 尊攘思想 徳川光圀 藤田幽谷
尊王攘夷とは?先駆けとなった水戸学と尊攘思想を分かりやすく解説「尊王攘夷(そんのうじょうい)」という言葉は学生時代から、歴史を学ぶ上で、よく耳にしますよね。 聞いたことはあるけど「実際、意味までは...

      \ランキング参加中/
にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ ブログランキング・にほんブログ村へ
↑ポチッと応援よろしくお願いします♪励みになります!

公武合体とは

公武合体とは

朝廷の権力で幕府の権威も回復させ、政治体制を立て直すことで、再び「幕藩体制」を強化しようという方針。

公家…朝廷
武家…幕府

の協力路線。

背景

ペリー来航以来、幕府の権威は徐々に落ちていきました。

さらに桜田門外の変にて、大老・井伊直弼が暗殺されたことで幕府の権威は失墜。

幕府としては、なんとしても権威を回復させたかったのです。

安政の大獄 戊午の密勅 桜田門外の変 弾圧
理由があった!安政の大獄から桜田門外の変までを分かりやすく解説安政あんせいの大獄たいごく から 桜田門外さくらだもんがいの変へん までの流れを、分かりやすく解説します。 今回の記事はこのような方に...

和宮の降嫁と尊攘派の解釈

孝明天皇 安藤信正 徳川家茂 公武合体 政策 降嫁 大老・井伊直弼の死後、老中・安藤信正と 久世広周くぜひろちか が幕府を主導し、公武合体を推進。

そこで文久2年2月11日(1862年)に家茂と和宮が晴れて結婚。

公武合体政策の目玉だった!

14代将軍・徳川家茂とくがわいえもち

孝明天皇の妹・和宮親子内親王かずのみやちかこないしんのう の

政略結婚。

ちなみに皇女・和宮が、将軍・家茂に嫁ぐことを、※降嫁こうかといいます。

※降嫁…皇女が王族以外に、または臣下に嫁ぐこと。

最初は孝明天皇はこの結婚に反対でした。

しかし側仕え・岩倉具視いわくらともみ の説得により、条件付きで降嫁を許します。

孝明天皇
孝明天皇
和宮を降嫁させるかわりに、幕府は攘夷を誓って、10年以内には鎖国体制に戻すように。

結婚したということは、幕府はこの条件を一応受け入れたということになりますね。

そんなこととはつゆ知らず、過激な尊王攘夷派は…

尊王攘夷派
尊王攘夷派
公武合体を名目に、幕府は朝廷を騙して、攘夷の邪魔をようとしている!

幕府許せねぇ!

このように考えたため、尊攘派は「公武合体ダメ!絶対!」となりました。

幕府の意図せずに、攘夷派を刺激する結果になったのです。

公武合体の目的を整理しよう!

幕府…権威回復のため。
朝廷…幕府に攘夷路線をとらせるため。

お願いだから尊攘派の方、テロを起こさないでくれ…という気持ちになります。

天誅!坂下門外の変

坂下門外の変とは

文久2年1月15日の出来事。

水戸浪士による老中・安藤信正の暗殺未遂事件です。

私的な恨みよりも、政治批判の意味が強いテロ。

尊王攘夷を掲げる、水戸浪士6人が、江戸城の坂下御門の近くで襲撃。

しかし桜田門外の変より、警備を強化していたため、未遂に終わりました。

安藤信正が襲われたのは、公武合体のため、将軍と皇女の結婚を推し進めたことが理由。

不満を持った尊攘派の政治的テロ事件になります。

しかしこの一件で、安藤信正は老中を罷免ひめんされてしまいました。

久世広周も老中を辞任し、幕府はますます力を失います。

また政治的テロは、坂下門外の変だけではありませんでした。

この頃は京都でも「安政の大獄」や「公武合体」に関わった人たちを、次々襲撃する「天誅」という名のテロ事件が横行。

なかなか取り締まることもできず、無法地帯のようになっていました。

あまりにむごいテロに、当時の京都の人々は怖かったことでしょうね。

まとめ

今回のまとめ!

-公武合体-

朝廷の権力で幕府の権威も回復させ、政治体制を立て直すことで、再び「幕藩体制」を強化しようという方針。

将軍・家茂と皇女・和宮の結婚は、公武合体政策の象徴だった。

-ねらい-

幕府…権威回復のため。

朝廷…幕府に攘夷路線をとらせるため。

-攘夷浪士-

「公武合体は、幕府が朝廷を騙し、攘夷を妨害しようとしてる」と考えた。

→坂下門外の変に発展。(老中・安藤信正が暗殺未遂)
これは個人的な恨みではなく、政治批判のためのテロ。

同じ頃他にも政治的テロが相次いでいた。

 

個人的には公武合体が、上手く進めば良かったなぁと思います。

結構「朝廷VS幕府」の構図で考えがちだと思うんですが、全然そんなことないんですよね。

孝明天皇はいわゆる「佐幕派」だったので、幕府立て直しには協力的。

佐幕派…幕府の存続を支持する思想。(反倒幕)

尊攘派は「尊王」を掲げておきながら、朝廷の邪魔もしちゃうという…。

過激な尊王攘夷の人たちには、朝廷も困っています。

しかもテロのやり方が酷いんですよね…。

そう考えると、これから誕生する京都を守る「新撰組」は、私はヒーローのように感じますね!

皆さんはどう思いましたか?

モモ
モモ
今回も最後まで読んでいただき、感謝しています♪
ありがとうございました!

またインスタグラム、ツイッターもやっておりますので、ぜひフォローよろしくお願い致します♪

ではまた次回!以上、モモでした〜。

\ Follow me /

    

 
 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA