皆さんこんにちは、モモです♪
今回は「戦国武将の好きな食べ物」をご紹介!
例えば織田信長は日本人で初めて「ビスケット」を食べたとか、日本で初めて「バナナ」を献上されたなど、食べ物に関するエピソードも多いです。
そこで土地や人が違えば好みだって、もちろん異なるだろうと思い、まとめてみました!
ちなみに厳密にいえば「ビスケット」ではなく「ビスケットのような硬いパン」で、当時はビスコートといわれていたそうです。
あなたの好きな武将、あなたの出身地方の武将の好物は何だったのでしょうか?
ぜひ見ていってくださいね♪
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織田信長
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干し柿
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金平糖(こんぺいとう)
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湯漬け
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味噌漬け
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焼き味噌
信長は甘いものが大好きで、現代風にいうとスイーツ男子!
お酒はめっぽう弱い信長でしたが、お菓子には目がなかったようですね。
実は金平糖は「コンフェイト」という南蛮菓子で、信長に献上されたものでした。
日本古来のお菓子だと思ったら、輸入品だったのですね。
金平糖をもらったときも、信長は喜んだそうです。
当時は砂糖など甘味が貴重だったので、お金持ちの象徴ですね。
これがウマい!
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もう一度作らせたら、ちゃんと濃い味付けで美味であったぞ。
明智光秀
- 粽(ちまき)
光秀は粽の笹を取らずに、そのまま食べてしまったことがあるそうです。
いくさ中で急いでいたからなのか、本能寺のことで心ここにあらずだったのか…。
なぜ笹も食べたのかは推測するしかありませんが、光秀に聞いてみたいですよね。
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だが皆は私の真似をしないように…。
豊臣秀吉
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割粥(わりがゆ)
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根菜類
割粥とは、米臼でお米を砕いて作ったおかゆ。
晩年の秀吉が好んで食べていたそうです。
秀吉は農民出身なので、大根やごぼうなどの根菜類は「懐かしい味」だったのかもしれませんね。
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しかし米の断面がキレイなゆえ尋ねたところ、米を包丁で割って作ったそうな。
どうも高野山には米臼がなかったらしい。
それならそう申せばよいのに、これには感動した。
徳川家康
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天ぷら
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なす
- とろろ
- 麦飯
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安倍川餅
ウソかマコトか、徳川家康の死因の一つとしても「天ぷら」はよく挙げられますね。
しかし天ぷらが直接的な原因ではなかったと考える人の方が多いようです。
安倍川餅は、家康が安倍川に行った際に献上された菓子。
当時安倍川の奥地では金を採掘していました。
そこで“きな粉”を“金”と見たてて「安倍川の砂金をかけた金粉餅」と紹介された家康は、この餅を気に入ったそうです。
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白米は贅沢品ゆえ、全くワシの気持ちが分かっていないと怒ったものよ。
上杉謙信
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酒
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つまみ(塩、梅干し)
「上杉謙信といえば酒!」というほどのお酒好き。
花見酒や月見酒など、風情を楽しまれていたそうです。
その一方で、いくさ中や馬の上でも飲むほどの酒豪ぶり•••(笑)
食生活といえば、普段はとても質素なもの。
戦の前だけ家臣たちに「かちどき飯」と言われる豪華な食事をふるまっていました。
新潟県に「かちどき飯」を再現した御膳を食べれるお店もあります。
読んで字のごとくであるな。
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武田信玄
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アワビの煮貝
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ほうとう
ほうとうは山梨の郷土料理ですね!
信玄の「宝刀」で食材を切ったから、「ほうとう」と呼ばれるようになったんだとか。
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伊達政宗
“食”そのものを愛する戦国のグルメ王、伊達政宗。
自ら料理をしたり、献立を考えたりと、まさに料理男子!
ちなみに政宗はトイレで献立を思案していました。
また豆飯や豆腐などの大豆系の料理を好んだらしいです。
仙台みそ、ずんだ餅などは政宗が生み出したともいわれています。
とくに仙台みそは当時から品質がとても良かったそう。
さらにすごいのが、お正月のおせち60品目以上という品数!
現代より食材も調味料も少ないのに、試行錯誤がすごいですね。
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真田幸村(信繁)
- こねつけ餅
こねつけ餅とは、お米と小麦粉を混ぜこねて丸くし、味噌をつけて焼く長野県の郷土料理。
ネット上にレシピがたくさんあるので、ご家庭でも簡単に作ることができます。
真田兄弟にとって、慣れ親しんだ味であろう「こねつけ餅」にはこんなエピソードが…。
大坂夏の陣の前のことです。
幸村は豊臣側、兄・信之は徳川側に味方していたので、二人は敵対関係にありました。
しかし幸村は深夜にこっそり信之に会いに行きます。
二人は盃を交わした後、信之はお土産として、幸村に「こねつけ餅」を持たせました。←な、泣けるっ…!
これが真田兄弟の今生の別れになるのですが、二人もそれを悟っていたのですね。
加藤清正
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朝鮮飴
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黒米、玄米
朝鮮飴はアメといっても、固いお菓子ではなく、もちもちとした食感。
加藤清正が朝鮮出兵のときに陣中食として持っていったことが、名前の由来だそうです。
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石田三成
- 柿
三成のもとに柿が100個贈られてきた際に、「私の好物を知ってたんですね」と手紙を送ったといいます。
柿100個ってすごいですね…。
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こんなにたくさん…ありがたく頂戴しよう。
毛利元就
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お餅
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団子
- 魚料理
渋いイメージの毛利元就でしたが、団子やお餅が好物。
元就も食べていたかもしれないお餅が「川通り餅」です!
「川通り餅」の詳細はコチラからどうぞ♪-PR-
黒田官兵衛
- 鯛(タイ)
官兵衛は鯛が好きだったそうですが、鯛にまつわるお話しがあります。
あるとき家臣が白木の箱に鯛を入れて官兵衛に献上しました。
しかし官兵衛はとても倹約家であります。
そう言って白木の箱を家臣に返し、鯛は保存食にしました。
官兵衛に対してだとしても、家臣に無駄遣いをさせない器の大きさを感じますね。
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藤堂高虎
- なが餅
高虎となが餅の出会いは、まだ高虎が大名になるずっと前のことでした。
まだ無一文だった高虎は、通りかかったお店で“出世払い”ということで、タダでなが餅を食べさせてもらいました。
高虎は餅の美味しさに感動したそうです。
のちに大名になった高虎は、ときおりこのお店に立ち寄ったといわれています。
なが餅が食べられるお店をチェック♪→「なが餅笹井屋」
可児才蔵
- 味噌
才蔵は味噌の栄養を知っていて、皆にススメたり、配ったりしていたそうです。
広島には才蔵寺というお寺があり、そこには「才蔵」と「みそ地蔵」が一緒に祀られています。
なんでもお地蔵様の頭に味噌をのせてお参りするんだとか!
今では合格祈願で訪れる方が多い才蔵寺、実はこの祈願方法を考えたのが才蔵。
才蔵が兵糧(ひょうろう)攻めにあった際に、食料を確保するため「笹の葉の上にお米や味噌をのせ、このお地蔵様にお供えすると願いが叶よ!」とウワサを広めたのが始まり。
みごと作戦は成功で、それどころか現代までも続く結果になりましたね。
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大友宗麟
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鮑腸汁(ほうちょうじる)
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アワビ
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黄飯(おうはん)
鮑腸とはアワビの腸に似せて作ったとされる麺料理。
アワビが好きだった大友宗麟でしたが、アワビが不漁の年があり、そのとき宗麟のために家臣が考案したといわれています。
また南蛮貿易をしていた宗麟は、パエリアを再現しようとして「黄飯」を作ったそうです。
黄飯はサフランの代わりにクチナシを使用した黄色いご飯。
そこに「かやく」と呼ばれる具だくさんの汁をかけて食べる大分の郷土料理です。
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まとめ
戦国武将15名の好きな食べ物のまとめはこちら!
織田信長
- 干し柿
- 金平糖
- 湯漬け
- 味噌漬け
- ネギみそ
明智光秀
- 粽(ちまき)
豊臣秀吉
- 割粥(わりがゆ)
- 根菜類
徳川家康
- 天ぷら
- なす
- とろろ
- 麦飯
- 安倍川餅
上杉謙信
- 酒
- つまみ(塩、梅干し)
武田信玄
- アワビの煮貝
- ほうとう
伊達政宗
- “食”を愛する元祖・料理研究家
真田幸村(信繁)
- こねつけ餅
加藤清正
- 朝鮮飴
- 黒米(玄米)
石田三成
- 柿
毛利元就
- お餅
- 団子
黒田官兵衛
- 鯛(タイ)
藤堂高虎
- なが餅
可児才蔵
- 味噌
大友宗麟
- 鮑腸汁(ほうちょうじる)
- アワビ
- 黄飯(おうはん)
戦国武将の好きな食べ物から、日本食文化の土台、各地方の郷土料理の始まりが垣間見えました。
先人達のおかげで、さまざまな美味しい食事を摂ることができて、私たちは幸せですね♪
なるほど! とても分かりやすいです。
柿100個…笑ってしまいます。
白玉さん、コメントありがとうございます!
柿を食べるとき、この話を思い出します。笑