直江兼続は上杉謙信の養子・上杉景勝の側近として、上杉家のために生涯尽力した戦国武将。
関ヶ原の戦い敗戦後、大幅に石高が減る米沢に移封になったあとも、景勝を支えながら上杉立て直しに大きく貢献しました。
頭脳明晰だっただけでなく、高身長でイケメンだったということもあり、現代では女性にも人気が高い武将の一人ですね。
また直江兼続といえば、やはり有名なのが「愛」の前立て!
直江兼続の兜「愛」の意味、そして愛刀・水神切兼光の由来とは何か、興味のある方はぜひ見ていってくださいね♪
※この先当記事内プロモーションを含みます。
愛刀:水神切兼光
刀工 | 長船兼光 |
種別 | 重要美術品 |
所蔵 | 株式会社 ブレストシーブ |
水神切兼光(すいじんぎりかねみつ)は上杉景勝によって、直江兼続に下賜(かし)された刀。
近年では水神切兼光は、数ある刀の中から上杉景勝が選び抜いた名刀リスト、上杉家御手選三十五腰(うえすぎけおてえらびさんじゅうごよう)のうちの一振りではないかと言われています。
また刀身には特徴的な彫刻があります。
刀の表側の差し表に三鈷柄剣、差し裏に梵字が彫られています。
ちなみに
三鈷柄剣(さんこづかけん)•••不動明王を表しており、魔除けや邪気をよせつけないなど、煩悩を払う法具。
梵字(ぼんじ)•••サンスクリット語の表記。梵字の一文字ずつが仏神を象徴している神聖な文字。
水神切兼光の刀身に彫られている梵字、私は「ウ」と「カンマン」に見えました。
梵字の「ウ」は技芸天、「カンマン」は不動明王を表しているそうです。
このことから水神切兼光は不動明王のご守護のある刀だと思われます。
私は梵字に詳しい訳ではないので、読み間違えていたらすみません•••。
水神切兼光の画像から、ぜひこの梵字、あなたの目で見てみてください。
ー名前の由来ー
あるとき領地の川が洪水で決壊しそうになっておりました。
国営を任されていた兼続は考えます。
どうにか洪水を鎮めねば!
そして川へ出向き、この刀で「水神」を斬ったところ、洪水が鎮まりました。
これが由来で水神切兼光と呼ばれるように。
もう一つは
洪水が鎮まるように、この刀でお祈りをしたことが由来とされています。
後者のほうが現実的ですが、前者の逸話も「閻魔大王」に手紙を書いたことがある兼続っぽいお話しですね。
愛の兜の意味とは
直江兼続といえば「愛」という文字が特徴のこちらの兜ですよね!
このイメージから「愛の武将」と呼ばれることも多いですね。
これだけ聞くと「優しい武将だったのかなぁ」とか、「愛に溢れた人だったのかなぁ」なんて思う方もいるのではないでしょうか。
実はここで意味する「愛」は「LOVE」ではありません。
兜を見たとき「愛」だけにフォーカスしがちですが
この「愛」は「雲の上」にあるんですね。
兜にはルールがあります。
ルールとは仏様の名前を前立てに使用したいとき「雲の上」に漢字をつけることで、仏様の名前を漢字一文字に省略できるというものです。
なんと便利!(笑)
なので「愛」の文字は仏様の名前の最初の一文字と考えられるんですね!
その仏様とは二尊、説があります。
※尊•••仏様の数え(神様の数え方だと柱)
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愛染明王
愛染明王(あいぜんみょうおう)は密教の仏様で、愛欲を悟りの心に導き浄化する力をもちます。
直江兼続は軍神として信仰していたと言われています。
側室がいるのが普通だった戦国の世で、生涯奥様はお船の方の一人だけだった兼続。
奥様以外への気持ちは愛染明王の力により、戦の原動力として勝利へ導く“ゲン”担ぎのような感じの信仰心もあったのかなぁ•••なんて妄想を膨らませるのも楽しいですね。
愛宕権現
愛宕権現(あたごごんげん)は「勝軍地蔵」が愛宕山に仮の姿で現れた軍神として、戦国武将たちに広く信仰されていました。
また兼続が尊敬している上杉謙信公も、戦の前には愛宕神社に参拝していたこともあり、兼続が愛宕信仰をするのは自然のことと考えられますね。
どちらかというと私は愛宕権現のほうが有力に思えます。
あなたはどちらだと思いますか?
まとめ
今回は直江兼続の愛刀・水神切兼光と、「愛」の兜について紹介させていただきました。
両面に彫刻がある水神切兼光かっこいいですよね。
ここには画像を載せることができないので、ぜひ画像検索して見てみてくださいね!
前立ての「愛」の由来は、愛染明王か愛宕権現の説が有力です。
私は愛宕権現説に一票(笑)
あなたの考察はどうでしょうか?